日曜日だからライター時代の話を
大阪で泊まった宿には、雀鬼シリーズが全巻置いてあって歓喜でした。
流れをつかむ技術
あと首領への道も完結編まで置いてましたよ。けど、なんでかなー最終巻に清水健太郎がいないんだよなー(すっとぼけ)。
そんなことを考えてたら、ライター始めて間もない頃、とあるスロ漫画家さんに連れられてみやわき心太郎先生宅へお伺いしたことを書きたくなっちゃったりなんかして。

みやわき先生とは、これを描いた方です。連載が始まった当時、自分は中学生だったのだけれど、夢中になって読んでたなあ。20年間無敗! すげえ! って。3秒切りや、第1打に字牌を打つの禁止だったりと独特なルールには、かなり影響を受けたなあ。麻雀は全然打たなくなっちゃったけど。
さておき、確かあの日の流れとしては、スロ漫画のセンセーにみやわき先生と麻雀打とうって誘って頂いたんですね。センセーはひばりヶ丘に住んでおり、みやわき先生もご近所だったのです。
もちろんご近所ってだけではなく、スロ漫画センセーがなんと驚き、元雀鬼会出身だったのです。その流れでみやわき先生ともお知り合いであり、たまに会いに行ったりしていたそうな。ピカピカの田舎者はたまげたり歓喜したりでしたよ。
ちなみにひばりヶ丘には三家本礼先生も住んでいるそうな(20年近く前の話だけれど)。そういえば今日までゾンビ屋れい子のkindle電子書籍がセールだよ! 急げー。
駅前のやすだで少し散財し、それから少し歩いて、まずはスロ漫画センセー宅へ。記憶もすっかり飛んじゃったけれど、短い商店街を抜けて、緑の多いところにセンセーの住むアパートがあったように思います。ちょうど原稿が終わった後のセンセー。確か原稿はパソコンでの作業だったような気がしたので、部屋は片付いたもんでした。
パソコンでの原稿といえば、井上いちろうというスロ漫画センセーが4号機時代は大変好景気で、どこかの飲み会にてパソコン使えるアシスタントの方を結構なギャラで募集していました。スロ漫画もぼちぼちとデジタルに以降していた時期だっんですね。前山滋というセンセーもパソコンを活用しまくってハンコ絵漫画を量産してました。
あの頃はスロ漫画誌も2桁を数えるほど刊行されていたし、まさにパチスロバブル時代だったなあ。そこに甘えて精進を怠った漫画家未満の皆さんは、バブルが弾けた後、どーなっちゃったんでしょうね。
そんなこんなでみやわき先生宅に到着。夫婦でお出迎えされちゃった。お二方ともにこやかな方でした。通された部屋は、山積みの本の中をかき分けるような感じで、中央に雀卓がポツリ。おお、全自動卓だ!
さて、先ほどまでにこやかなお二方は、勝負になると変貌する…というわけではなく、変わらずにこやかでした。しかし! さすが雀鬼流の漫画を描いていた方であります。打牌は早い。いや、速いし、打ち回しもしっかりしており、自分の付け入る隙はナッシン。凄い早さで半荘6回が終わりましたが、いちどもトップを取ることができませんでした。ううむ、さすが自分以外雀鬼会…。
あの時は緊張しちゃって、ほとんど何も話せなくって、会話の内容も覚えてないのだけれど、牛次郎先生のことを笑顔で話していたのが印象的でした。ああ、なんだか夢のような麻雀だったなあ。
流れをつかむ技術
あと首領への道も完結編まで置いてましたよ。けど、なんでかなー最終巻に清水健太郎がいないんだよなー(すっとぼけ)。
そんなことを考えてたら、ライター始めて間もない頃、とあるスロ漫画家さんに連れられてみやわき心太郎先生宅へお伺いしたことを書きたくなっちゃったりなんかして。

みやわき先生とは、これを描いた方です。連載が始まった当時、自分は中学生だったのだけれど、夢中になって読んでたなあ。20年間無敗! すげえ! って。3秒切りや、第1打に字牌を打つの禁止だったりと独特なルールには、かなり影響を受けたなあ。麻雀は全然打たなくなっちゃったけど。
さておき、確かあの日の流れとしては、スロ漫画のセンセーにみやわき先生と麻雀打とうって誘って頂いたんですね。センセーはひばりヶ丘に住んでおり、みやわき先生もご近所だったのです。
もちろんご近所ってだけではなく、スロ漫画センセーがなんと驚き、元雀鬼会出身だったのです。その流れでみやわき先生ともお知り合いであり、たまに会いに行ったりしていたそうな。ピカピカの田舎者はたまげたり歓喜したりでしたよ。
ちなみにひばりヶ丘には三家本礼先生も住んでいるそうな(20年近く前の話だけれど)。そういえば今日までゾンビ屋れい子のkindle電子書籍がセールだよ! 急げー。
駅前のやすだで少し散財し、それから少し歩いて、まずはスロ漫画センセー宅へ。記憶もすっかり飛んじゃったけれど、短い商店街を抜けて、緑の多いところにセンセーの住むアパートがあったように思います。ちょうど原稿が終わった後のセンセー。確か原稿はパソコンでの作業だったような気がしたので、部屋は片付いたもんでした。
パソコンでの原稿といえば、井上いちろうというスロ漫画センセーが4号機時代は大変好景気で、どこかの飲み会にてパソコン使えるアシスタントの方を結構なギャラで募集していました。スロ漫画もぼちぼちとデジタルに以降していた時期だっんですね。前山滋というセンセーもパソコンを活用しまくってハンコ絵漫画を量産してました。
あの頃はスロ漫画誌も2桁を数えるほど刊行されていたし、まさにパチスロバブル時代だったなあ。そこに甘えて精進を怠った漫画家未満の皆さんは、バブルが弾けた後、どーなっちゃったんでしょうね。
そんなこんなでみやわき先生宅に到着。夫婦でお出迎えされちゃった。お二方ともにこやかな方でした。通された部屋は、山積みの本の中をかき分けるような感じで、中央に雀卓がポツリ。おお、全自動卓だ!
さて、先ほどまでにこやかなお二方は、勝負になると変貌する…というわけではなく、変わらずにこやかでした。しかし! さすが雀鬼流の漫画を描いていた方であります。打牌は早い。いや、速いし、打ち回しもしっかりしており、自分の付け入る隙はナッシン。凄い早さで半荘6回が終わりましたが、いちどもトップを取ることができませんでした。ううむ、さすが自分以外雀鬼会…。
あの時は緊張しちゃって、ほとんど何も話せなくって、会話の内容も覚えてないのだけれど、牛次郎先生のことを笑顔で話していたのが印象的でした。ああ、なんだか夢のような麻雀だったなあ。
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