やべーやつ列伝 【ビジュR〇士の側近編】

職場のやべーやつ、ミニゴリが現場の近くに移動されてきた…もっと隔離するって言ってたじゃないですかーやだー! 転職も視野に入れねばならないか。ちなみに奴は行く先々で揉め事を起こし、その折に対象を辞めさせているという典型的な危険人物である。ちなみにメスです。


そんなわけで本日は、やべーやつ列伝をば。昔むかし大昔、僕がテレビに出始めの頃、そのあまりにも特異なキャラ、奇妙なリアクションで業界関係者にはビジュR英士みたいって言われていたのじゃ。しかし業界にいながら同業者のことにはとことん疎い僕、そのビジュRという方を知らず。


一体誰なんだろなあと思いつつ、調べもせず、数年経ったところで、蕨の友人宅にu-nextが導入されました。なんでもアニメやドラマがいつでも見放題のサービスで、その中にはパチテレやサイトセブンの一部の番組が登録されていたのです。そこで目にしたのがビジュRパチンコ劇場。数年越しに、ああ、この人かという謎が解けまして、気が付いたら撮影ホールまで足を運ぶようになっておりました。要は、観ている内に少し興味を持ってしまったということですね。


そこでファンの方との交流もあり、仙台の収録や、三重のオールナイト実戦の収録も見学に行ったりしながら、僕自身も視聴者として楽しんで おりました。


そういえばビジュRさんの側近である高橋Dから聞いた話では、この三重オールナイト実戦は赤パン特番からパクったそうです。僕の24時間実戦特番は好評で、視聴者様から今年はやるの? と何度も聞かれたりしましたが、結局二度と実現しなかったのは、少なからず彼の影響もあったりします。しかし普通、弱小番組から企画パクったりしますかねえ。それをやったらどうなるか、想像つくだろうに。ちなみに僕の相棒である特番Dは、サラリーマン気質かつ攻めの姿勢というものが皆無な方であり…お察しください。


そんなこんなで番組の制作会社が広島の三原にあるということで、愛媛に帰省した際にはしまなみを渡って遊びに行ったこともありました。小規模ながらパソコンが5台ほどあり、立派な仕事場でしたね。けれども売れ残りのパチンコ劇場DVD…まだこんなにあるんだなあと戦慄してみたり。だってあれ、パチンコ劇場って言いながらパチンコシーン全カットですし。じゃあ何が入ってるかというと…ビジュRさんが動くだけのPVですよ。誰が得するかわからん売り物だなあ。あと番組内で信者から頂いた貢物は、ここにどっさりと収納されてました。ビジュRさんちには行かないのかしらん。


あ、パソコンといえば、この時期は確かスカパーアワードという祭典がありまして、そこで何らかの賞が貰えると、一躍知名度のアップするチャンスなんです。これはネット投票でも可能でありまして、つまりは事務所で一生懸命複数のパソコンから…。あと2ちゃんも結構チェックしてましたね。



途中で番組に見切れなくなった女性スタッフのお腹がポッコリになってたのが気になりながら、後半に続く…。火曜あたりかしら。




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やべーやつ列伝 【自称ライター編】

現場に行くと、敵が3人おるのです。上司、W、ミニゴリ。よってたかって仕事の邪魔をしおるわ! おのれー。


そんなわけで本日は、過去に出会ったやべーやつのコーナーです。とはいえ、言うほどやべーのにはそうそう会えるわけでもないので、内容は薄めよん。こういうのには気を付けようって参考になれば幸いです。


僕がライター名義でTwitterを始めて数年経過した頃のお話。ちなみにTwitterはパチライター業界で一番早く始めたと自負しております。何せこの業界、世間よりワンテンポ遅れてますゆえ。大御所からしてオタク文化を小馬鹿にしてたものですから、こういうネット文化を取り込むのも遅れちゃったというか…。


それにならって、パチテレ視聴者および雑誌読者もネット環境すらない方が多く、僕はひとり、ひっそり呟いていただけでした。そうこうしている内に時は経ち、ある日、僕の偏ったツイートに反応する方が現れたわけです。マジすか!? ネットの孤島でひたすら呟いた甲斐があったってもんですよ。


それからというもの、その方とぼちぼちコメントをやりとりするようになり、今度電話で話しよなということになったわけです。


電話は、僕からかけました。最初の印象としては、よく話す人だなといった感じ。職業はライター兼パチプロで、既婚者。どこの雑誌に書いているのか、どんなジャンルの記事なのかを聞くと、何故か必ず他の話題になるのが不思議でなりませんでした。そして彼のTwitterプロフィールに記入してあったstudio〇〇を検索してみると…彼のTwitterしか出てきませんでした。不思議ですなあ。


ちなみに声は伊集院光で、ああ、これは完全に太い人だなと。喋りには自信があり、某ホップワンには営業で入ったつもりだったけれど何故かホール店員にされたから続かなかったとのこと。


ホップワンかあ。この時の電話は、ちょうどホップワン蕨店の近くでかけてたのを思い出しました。GWの昼間に5スロしか客のいない糞ボッタ店。時々スロマガの名前を使ってイベントしてたけど完全にガセイベントで、店員にスロマガの信用落とすようなイベントを行うのはいかがなものかと苦言を呈したら、翌週からボードに実戦取材としか書かれなくなったなあ。


さておき、その日は30分ほどの会話で終了。そこから2回ほど彼の電話を受けるのですが、これがまた3時間ワンセットで長い! しかもひたすら自分語りなのであります。そんなんで、某ライターがYouTubeにアップしてた開店待ちトークの真似事しましょうって言われても、そりゃ丁重にお断りしますってば。あれ? 喋りに自信アリって…相手に関係なく延々と話すだけなんだ…。会話無理系かあ。もう壁やモニターに向かって話してたらいいと思うよー。


似たようなタイプで佐々木師匠がいますが、あちらはまだちょっとだけ話も聞いてくれるし、パチスロの深い話ができるしなあ。


ちなみに元居酒屋店長(ライター?)にもその自慢の喋りを披露していたら、相手は思わずタジタジだったそうな。いや、それ、引いてるから! 僕も疲弊してました。いやあ、それからは電話かかっても取らなくなってましたよ。はっはっは。


そういえば高校時代はワルだったって話から始まったけど、最後の方では身体がデカくて目立ってたからイジめられてたとかいう設定に変わってたり、長々と話すだけで統合性のなさも露呈してましたね。そして一番驚いたのが、今度ラノベ作家になりたいと言い出したこと。いや、夢を持つのは良いことだけれど、それの根回しとしてTwitterでラノベ作家を次々とフォローしたそうな。え? 作家になるってそういうこと? 驚かずにいられないっ!


これで思い出したのだけれど、最初の電話で彼は、赤パン特番の企画を考えたげるよ! と言って何やらやってたみたいですが、その後、彼のプロフィール欄には何故か「CS番組企画立案」という文字が…。ちなみにパチンコ番組の企画書なんてのはペラ1枚程度で、後から撮りながら考えたりするものも多いため、そういうの仕事に入んねえから!



しばらくして世間でLINEが普及し、彼に電話番号を登録されていた僕は…やっぱり餌食になっていたのでありました。もう相当ひつこかった。朝10時前にホールで開店待ちをしていると、彼からの「今何してるん?」とLINEが。いや、そういうこと聞く時間帯か? とはツッこまず、とりあえずホールで開店待ちしてますと9時57分くらいに返信したら、何故か着信入れてくるわけですよ。いや、そこで出たら間違いなく入店遅れるじゃない! しかもLINEで開店待ちって送信してるのに。それをTwitterで遠回~しに愚痴ったら、彼も気付いたらしく同じくTwitter上で「ケンカ売ってんか(原文そのまま)」とひたすらコメントしてきましたが、無視してしばらくしたら普通に謝ってきまして。けど面倒だからTwitterもLINEもブロックしましたとさ。めでたしめでたし。


そんな彼のTwitterを最近ほじくり返してみたら、2016年で更新が止まってました。最後の方はBotみたいに本日の運勢を呟いてただけで、結局彼の文章、仕事を拝むことなく終わっちゃった。しかしあれだ、気になったのは声真似の練習してますって。どう聞いてもJ…伊集院光なのに、どんな声真似をしていたのでしょうか。

写楽堂山越店の思い出

 久々の定時でした。さりとてやることなし。


 


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 そんなわけで本日は、写楽堂山越店の思い出であります。昔はここが本店だったんですよ。本店だけあって、さすがにでかい! 中学時代、自転車でそのへんを走り回ってて、初めてここを見つけた時は震えが止まりませんでした。すげえ店を見つけた! って。今と違って、ネットで検索すればポンと出てくる時代ではありませんでしたからね。あの頃は不便だったけれど、求めていたものを見つけた時の感激はひとしおでした。


 この写真は18そこらの小僧時代に撮ったものです。原付のミラーが見切れてますしね。


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 中学時代当初にここを見つけた時、店内はこんな感じでした。ちょっと図が適当なのは堪忍してつかあさい。店舗が大きいだけあって1階はゲーム・CDコーナーと本コーナー、そして2階にも売り場がありました。さすがの本店であります。マンガの棚は画像だと少ないけれど、実際はもっと多く、実に様々なマンガが陳列されておりまった。個性的なマンガはもちろんのこと、当時はジョジョや刃牙なども集めていたので、そういった王道的なマンガを購入する際にもお世話になってましたね。ジャンプやチャンピオン系は、新しめだと大体180円くらいで、古めだと130円くらいだったと記憶しております。まだブックオフのなかった時代。


 本コーナーの入り口近くにあるアニメ雑誌の棚は、たまに驚くような本が安く売られていたりと中々侮れない存在で、まず店に入ったらここをチェックするのが僕の日課でした。ミンキーモモのムックと吾妻ひでおの「陽射し」は、ここに300円で売られていたのだ。


 とにかく中学、高校時代は日曜になれば自転車をこいで写楽堂へと遊びに行ってまして、まず松前のアゲインから松山のブックスさや、写楽堂2店舗、そして銀天街の千舟店から平和通りに出て城北雑誌を2店舗、さらには名前は忘れたけれど清水にあった古本屋2店舗を回ってから写楽堂山越といった感じでした。時間があれば福音寺店にも行ってましたね。いやあ若かった。その後、もいち堂なぞもできて1日に10店舗近く回る日もありました。何が僕をそうさせていたのかは、僕自身にも分かりません。けれども何かに熱中できるって楽しいことだと思いますよ。


 そういえば当時は、古本屋の深夜営業なぞが普通に行われており、写楽堂は12時まで開いていました。小僧が20代になり、色気づき、恋人なぞいた頃は、遅い時間によくここを訪れていたものです。ちなみに隣にあった城北ざっし本店は、深夜2時まで営業していたので古本屋のハシゴなんかしてみたりとかね。そんな楽しい時期が、僕にもありました…。あの頃はJR松山駅前の駅前スタジアムも結構深夜までやってたような。ずいぶん夜遊びの捗る時代だったんですなあ。


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 ちょいと話が逸れたような気がしますが、店舗2階にはずいぶん古い本…というより、表に出して売るのはちょっと面倒かなって感じの本が売られていました。いや、売られていたというか放置されていたというか。そんな感じで扱いは雑でしたから、当然空調もなく、夏場は蒸し暑く大変な状況になってました。古いレモンピープルなんかが置かれてましたが、あれ、買っときゃ良かったかしらん…。そういえば2階に上がる途中、階段横の棚には貸本漫画が普通に売られてましたが、あれも適当に買っておけば良かったなあ。当時はまだ、古いマンガが普通の値段で買えた時代だったのです。後悔先に立たずだなあ。


 そんなこんなで写楽堂ライフを楽しんでいた僕ですが、25の頃に愛媛を離れ、関東でライター活動を行っていた間に、写楽堂山越店は潰れ、駐車場の広いローソンになってました。ちなみに末期はゲームコーナーがレンタルボックス、2階が閉鎖、階段下がスロットコーナーだったかな。当時は隆盛を誇った写楽堂も、今では城北店のみの1店舗。夜7時までの営業になっちゃってずいぶんと寂しくなったけれど、たまーに買い物に行くのでまだまだがんばって欲しいなあ。





08/17 僕が小学生の頃、「夜霧のハウスマヌカン」という歌があったのを思い出した

♪夜霧の~ハウスマヌカン~
刈りあげても~ 剃りあげても~
夜霧の~ハウスマヌカン~
また~ 毛が生えてくぅる~♪

って学校の友達と歌ってたについて。

 うう~ん、どこのお毛毛なんでしょ。なんつって。替え歌の元ネタはよくわかりませんが、ハウスマヌカンって単語は昭和時代に良く聞いてましたね。脱衣麻雀のタイトルにもあったような、なかったような。いやはや。



08/19 トタンだけ見てると気が変になりそうじゃ。青空を見たくなるんじゃ~について。

 どうも、トタンのある部屋で配信をしておるゆたかちゃんです。オラァン! 田舎は見上げれば青空。途端にトタンでも見たくなるものさ!



08/19 豊ちゃんブログ、あまりにもニッチ過ぎやしませんかねえについて。

 やっぱり他で見られるような、ありきたりなモンは扱いたくないじゃないですかあ。とか言いつつ結構苦労しながら、たまーに何やってんだろ? とか思いながら撮りました。反応があってあたしゃ嬉しいよ。精米機実戦は全くウケませんでしたけどね。精米機房はおらんかったか。



08/19 侘び寂びを感じますね。実際、なかなか錆びていますが。トタンだけに枯淡の境地といったところでしょうか。
(ところでトタン房は本当に実在するんけ?)について。

 トタン房は実在しまぁす! その証拠にほら、途端にコメントが。しかし配信部屋のトタンを撮影し忘れましたなあ。これはいけません。次回があれば掲載します。次回…あるのでしょうか。

いんたーねっとはじめたてのこと【03】

以前の記事はコチラ


 前回のあらすじ! バリュースターを17万で買って、デオデオでプロバイダーとも契約したぞ! というところから。ネット麻雀を遊びたいがために始まってしまったネット生活。よろしい、まずは東風荘のホムペに行くのじゃ~。あの頃はサイトではなく、ホムペとか言ってたんじゃよねー。しかしそこはいつものウッカリな僕であり、何故か訪れたのは東風荘。他人の空似である一文字違いだったのです。しかもソフトをダウンロードして遊ぶまで、全く違いに気付かなかったのだから、さあ大変。


 いや、意外と大変ってわけではなかったんですけどね。むしろコチラは過疎ってたから繋ぎやすくて快適だったし、居心地は良かったのです。そんなこんなでネット麻雀ライフが始まったわけですが、東南荘は卓内外でのチャットが可能でありまして、そこで色々と東南荘のメンバーについて知ることができました。テスターという方が東南荘の創始者、若大将という方が、良く分からないがエライ人、と。しかしこの若大将って方がチャットでも常に喧嘩腰というか高圧的というか、生まれてこのかた敬語を使ったことなぞないであろうといった調子で、個人的には好きじゃなかったかなあ。当時はYABUMIというメッセンジャー(※)が東南荘内で流行っていたんですが、間違って空白のままメッセージを飛ばしただけで「なんのつもりだ?」とか返されたり、いやはや苦手でありました。他にも色々あったけど割愛~。若大将はその後、自衛隊に入隊するとのことで東南荘を引退し、アウディって方がエライ人を引き継いだのでした。それ以降は、段々東南荘にもインしなくなったので不明ですが。


(※ソフトを立ち上げていれば、いつでもメッセージを飛ばしたり受け取ったりできるソフト)


 まあそんな東南荘でも大会やチーム戦に参加したりと、楽しくやっておりました。メーリングリストなんてのもありまして、それは誰でも投稿できたため、調子に乗って毎日記事を投稿していたら…苦情に似たようなコメントが来ましたなあ。若気の至りでした。反省しておりやす。大会の思い出ですが、一度優勝して麻雀牌を頂いたことがありました。決勝や惜しいところまでは何度か行ったんですが、運に恵まれず無冠の帝王と化していた時期もありました。決勝の日に遊びに出かけていて不戦敗(※)となったり、決勝前日まで好調だったところを、最後の半荘で親に八連荘を許してしまったりなど。にが~い思いをしながらの優勝でしたから、本当に嬉しかった!


(※当日朝のメールでは、まだ決勝メンバーが知らされていなかったため、まさか自分が…と遊びに出かけてました。ちょうど松山でオタクイベントがあったもんで。)


 決勝メンバーの1人には、以前、ラス確定のノミアガリをして、それに対し物言いをつけたら「麻雀は楽しめたらいいんだ!」と逆ギレしてきた方もおりましたので、絶対に負けたくない戦いでもありました。東1局から發ドラ3で好調なスタートを切ってから、そのまま圧倒的大差で突っ走って優勝でしたよ。とか書いちゃう小さいおっさんです。今は良き思い出さ。


 さて、ネット麻雀だけでは物足りない。そう思ったならば、人は誰しも自分のホームページを作りたくなる…そうでしょう? 僕も作りましたよ。何かに特化したわけではなく、自らの稚拙なイラストをアップロードしたり、掲示板をつけてみたりとか。まずホームページを作るにはホームページビルダーってなものが必要だったらしいのですが、購入したバリュースターにそんなものは付属しちゃおりませんでした。代わりにフロントページエクスプレスなるものがありましたので、それでコツコツと。イラストは、まさかマウスでスイスイ描けるわけでなし、アナログで描いたり塗ったりしたものを、アプライドで買ってきた安いスキャナで取り込んでアップロードしてました。当時、アップロードはフロントページエクスプレスで行っていたんですが、こういうことに疎い僕は、色々と面倒な印象でした。FFFTPを知ってから少々簡単になりましたが、それでもあの頃は不便な時代だったように思います。ちなみにデオデオのプロバイダーだと、アップロード容量は5Mまででした。今だと信じられない数字ですよね。


 掲示板はリンクするだけなので容量は食いませんでしたが、なるべくシンプルで読み込みの早いものを、とteacupを選択。これ、驚くことに今でも現役で運営されているようです。その後追加した「さるさる日記」は、既にサービスを終了したというのに。いやあ、さるさるも懐かしいですね。当時は簡単な操作で日記をアップロードできるということ自体画期的かつありがたいサービスでした。まあ恋人との別れと共に更新もやめちゃってそれっきりになり、サービス終了を知ったのも先ほどのことなんですけどね。ああ、年を取ったなあ。



小学校登校編! 前編

残業で釣りに行けなかったし、パチンコで負けました。散々な日だったナア。





そんなわけで本日は、小学校時代の登校ルートを辿ってみましたー。なんとなく気まぐれってヤツなので、恐らく本人の自己満足になっちまいます。まずはここからスタート! 昔はダイレックスがなく、畑ばっかの場所でした。ああ、集団登校めんどくさかったなあ。学期の終わりには何故か班会なるものがあって、みんな悪事のチクりあい。田舎モンの陰湿さが早くもここで発揮されてたんですね。








元酒屋のカドを曲がり、線路を渡ります。この坊ちゃんで弁当屋はかなり昔から続いているお店。個人商店だけどがんばってますね。開いてるのは昼だけだけれど、近くに製材所などの工場がありまして、それが大きいみたい。








そこから伊予農へと続く細い道を行きます。ここのドブ川、昔は地面が砂地でガードレールもなかったんです。しかしある時、下校中の小学生が落っこちて、そこからガードレールが付き、地面もコンクリになったとか。その小学生が言うには、ドブ川ってマンガみたいに落ちたらどうなるのか知りたかったんですって。足を洗うの大変だったなあ。








突き当りを左へ曲がります。すると、伊予農があり、その向かい側にふたば保育園があった…はづですが、今はもう別の施設になっているようです。保育園の給食はあまり美味しくなかったなあ。というか、毎日生ぬるい脱脂粉乳を飲まされるのがキツかった。今の若い子には、あの味、わからんでしょうね。





伊予農の校門を背にしてまた細い道を行きます。夕焼けに、畑の焼ける匂いがしました。





ちなみにこの近所には、k下さん曰く三角店という個人商店がありました。ここは当時、伊予農生がよく弁当やジュースを買いに行っておりまして、僕も一度だけ紙パックの1リットルコーラを買ったことがあります。紙パックコーラも若い人にはわかんないかなあ。沖縄あたりにはまだ存在するようですが。





そして少し広い道路へと抜けます。右の建物は昔、お好み焼屋でした。僕は行ったことありませんが。しかし左は民家だったはづなのに、いつの間にか卓球センターになっててビックリ。少し耳をすませると、何やら踏み込む音(おそらくスマッシュの練習)が聞こえたので、今でも現役で経営されてるようです。久しぶりに卓球したいなあ。








そして伊予農通りをずっと行きます。伊予農通りって何かって? 多分道路沿いに伊予農があるからそう名付けられたのさ。かつおぶし通りなんてのもあるぞ! ネーミング適当過ぎ!?








途中、NTTや給食センターがありまして、このへんで少し歩くのがめんどくさくなったりなんかして。そして子供の頃から良く分からなかった建物もあります…。








大判焼き屋に突き当たったら、左の坂を降りて行きます。この大判焼き屋もかなり歴史が長く、小学校時代から営業されてます。お店の人は、ずいぶん前からおばあちゃんだった気がするのだけれど…。


続く。
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