えー金曜日に更新サボっちゃったので、20代前半の小僧っこの時に書いた詩なぞ載っけておきます。まあまあ、こんなモン貼ってはずかしーって言えるのも、何かをやってきた証ですよ。何もやってこなけりゃ黒歴史すら残せない。だから生きてる限りは何かやって、残していかなきゃつまんないってなもんで。
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五月雨通りの 誤解と謎が解けないまま
柔らかいベッドに 腰掛けている
ただ立ち尽くす 窓辺の夜景
2つずつずれた番号
ホテルの鍵 彼女との時間
冷たいパンが かじれない
舌が 乾き 嘘を見抜き
聞いちゃいけないことばかり聞いて
泣いているのは いつも金曜日
五月雨通りの 誤解と謎が解けないまま
柔らかいベッドに 腰掛けている
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うん…良くわからん。もうこういうの書かないなあ。
ぐひゃー! 会社の書類、というか自己紹介的な文書を書いていたら、あっという間にこんな時間ですよ。こんなツマランおっさんの紹介文を、罫線の間隔が狭~いA4用紙にびっちり書けとおっしゃるもので、これが意外と大変なのです。しかも手書き限定ですよ。パソコンで文章書きおこして、それを用紙に写すというアナログかつ非効率的かつ、不毛な作業。けけけけ、腱鞘炎になるぅ~(そのくらいではなりません)。他のパートさん、社員さんらはどんな感じに仕上げてるのだろうか。
というわけで思い出シリーズの更新が間に合いませんでしたっ。ではどうしようかと過去の黒歴史フォルダをあさってみたところ、20代前半の頃に書いた恥ずかしい何かが出てきましたので、これ貼り付けて寝ます。オラァン!
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「何もない」
ありふれた星空の下で
ずっと遠くを見る 君と
星を見る
瞬きを見ている
瞬きの向こうの
終わりを見ている 君と
見てないふりをしている
君の羽織っているカーディガンは
アーガイルの隙間に
蝶が迷い込んでいた
君の瞳の奥に
星空は 映っていなかった
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これは、詩か!? この頃、何かあったんでしょうねえ。もうかれこれ十数年前…。歌詞を書いて、友だちにギターをかき鳴らしてもらってた時期もありました…。アカパンクスは作詞、作曲共に僕でしたが。
溝の口の唐揚げラーメンなつかしー。機会があったらまた立川に来て、ミナミで初代牙狼打ちましょーについて。
うっ、唐揚げラーメン食ってましたか。自分はあすこで一番安いラーメンを頼んで、唐揚げを幸せいっぱい頬張るのが好きでした。夢戦溝の口は、始発から並んでる人がズラリといたから昼から行って、良さげな台が空いていれば打ち、なければ大崎さんらに挨拶して帰るーって感じでしたね。いやはや、みんな熱心ですわい。
立川ミナミ、まだ生きてるんですね。意外とやるなあ。それなら大将も…というわけにはいかなかったようで。そういえばモノレール沿いのホールは、まだ生きてるんでしょうか。サップやニラクの他にまだ何軒かあったような。そのへんも今後の記事で触れていきたいですね。あと中古ゲーム屋のビスコとか。あれって全国チェーンだったのか! って当時びっくりした記憶があります。古本屋も色んなところにあって退屈しませんでしたねえ。それに較べて南浦和は本当になーんもありませんでした。
立川もだいぶ変わってしまいましたよについて。
な、なんだってー! 細野さん大滝さん布袋さん福山雅治さんブルハのマーシーとかも住んでたって、凄い地域だったんですね。生布袋とか見る機会も、もしかしたらあったのかもしれないとか。いや、ああいう人らは移動手段が車だろうし、絶対モノレールとか乗らないでしょうね。モノレールに布袋とか違和感満載じゃないすかー。
サイバードラゴンって、そういうホールあったんですね。多分行ったことありやせん。八王子軍団は、やっぱり近いからくるんでしょうねえ。自分が立川に居た頃にはもうパチスロ不毛地帯だった気がするので、軍団系は見かけませんでした。プレゴはオエオエーオーエー♪ って曲がうっとおしくも耳にこびりついて離れなかった時期がありますが、大体は入って、見て、出るだけで終わってましたね。南口から少し離れてたし。そういえば近くにラーメンスクエアがあったけど、ほとんど入らずに終わりました。河合我聞って今でもラーメン作ってるんでしょうか。