残業疲れたのだ…。パチンコ行く気力は相変わらずナッシン。なんかね、打ってもボーッとなるだけで熱量が足りないような感じなのさー。

そんなわけで本日は、自宅の動かないサンダーVの下皿にあったコインを眺めるのコーナー。ほんとはもっとあったんだけど、今はもう別の場所で、錆びるか腐るかしてるわけさ。
さあ懐かしいの出てきましたね。僕が20代前半まで、パルコというパチンコ屋がありました。場所はエミフルの道路挟んで対面、ベルモニー会館がそこだったわけです。ここは段ボール会社時代の後輩が良く打ちに行ってたんですが、いつ行っても客はいませんでしたね。そこで彼はひたすらバベルを回してたという…。ちなみに設置機種は、その時代ですら古いパチンコ大工の源さん(初代)、風神雷神、イエティ、アイスストーリーなどがあったように記憶しています。風神雷神は、果たしてノーマル機だったのでしょうか。店舗なき今、確認する術はありませんが…。あと、チェーン店がフジ西垣生近くにもありまして、ここはラブホになってました。最後に見た最新機種は、野獣だったかなあ。それ以降しばらく行かずにいたら、いつの間にかなくなってました。ギャンブラー愛なんかもありましたよ。
21世紀は、今でも辛うじて1店舗だけ生き残ってます。この系列店はレトロ台や、他店にない台を好んで置く傾向にあったので、僕は大好きでした。ただ、そういう趣向は新しもの好きの愛媛県人には合わず、自然と廃れていったわけで。寂しい。
FASTは、大街道ロープウェイ街側の入口すぐそばにあったお店。今はパワステという、客の金をひたすら吸い取る店になってますが、友人曰く、当時はちゃんと高設定が入っており、エルビスなどに仕込みを入れて、大変美味しい思いをしたそうな。僕がパチスロを始めた頃には、もうそんなもの見る影もなくなっちゃってましたけどね。

福岡の中洲は、昼でも夜でも吉本新喜劇か、はたまたVシネかって格好のおじさんが恫喝混じりの客引きをしてておっかない場所…という認識しかござんせん。むかしむかし、僕がまだ10代の小僧だった頃、ビートマニアもあまり設置店舗がなく、地元の友人には「中洲のゲーセンならあるよ」と案内されたはいいが、その彼は途中でいなくなり、1人で近くを歩いていたらたちまち派手なジャケットの〇水健太郎もどきたちの餌食になったという…。いや、ボラれたわけでもないんですけど。精神的苦痛を負ったんじゃー。
このエビスってのが謎で、どうにも思い出せないんですよ。恐らく大阪行った時のものかな…と思ったりもするけれど、記憶に自信はナッシン。なんば一番て店は覚えてるんですが。ううむ。とりあえず大阪の中心地で打つと死ねます。やめとき。

うおーニュー大洲のコインがある! 懐かしいなあ。ある程度立ち回りを覚えた僕は、休日になるとひたすら大洲で打ってたのさ。ポポロメインでしたが、大洲はパチンコ屋が多かったので色んなとこに行きましたよ。けどニュー大洲って、どこだったかなあ。思い出せぬ。あの頃は不思議な場所にあるパチンコ屋も多かったんで、たまーにそういう店を見つけるとテンション上がりましたね。八幡浜の元フジがあった所のカドを曲がると、やけに台間が広くて客の全くいない店があったりとか。初代ビンゴが置いてあったけど、展示されてるだけだったりとわけのわかんない店だったなあ。あ、設置機種は普通でした。

愛媛県には昔、ラッキーというお店がたくさんありました。北条の国道沿いや、今は回転寿司屋、ドンキ、車屋になっている場所なんかもラッキーでした。その後、エルショットというスロ専になりましたが、元々ラッキーって出す店ではなかったため、スロでも変わらぬ営業をしていたら、数年で全店舗潰れちゃったというわけです。エルショット中央店のグランドオープンは、なんと店内全6という大盤振舞だったということだけが記憶に残ってますね。あとはクソ雑誌の(スタッフオンリー)全設定バトルやら、様々な企画に利用されていたりとか。
ちなみにラッキー自体はPworldにこそ掲載されてないけれど、野村町にまだ1店舗だけ生き残ってたりします。大して面白い台は設置されていませんでしたが。ああ、15年前にスマホがあれば、色々な画像を残せてたのにナア…もっいたいなや!