アカパンクスとかありましたねえ
結局赤パンクスなのか、アカパンクスなのか分からずじまいだよ! いい加減だなあ。

こんな感じで、パンクなんだか〇チガイなんだかわからん曲をやってました。事の始まりはリーダーのオカヘンが「赤パンさん、バンドやりましょう。きっと仕事に繋がるから」の一言。これから業界に入るみなさん! 「仕事に繋がる」というフレーズには絶対騙されないようにしましょう! 基本的に繋がらないから。繋がるならとうに声掛けてきた当人がやってるってばよ。
ちなみにコイツには他の思惑があり、射駒タケシ主催のパチロックフェスに出たかったからとりあえず…みたいな感じだったらしい。その後、彼は残りのメンバーを切ってさっさとパチロックに出演したのだとさ。死ね! 射駒タケシは漫画の方しか好きじゃないからどうでもよろしいが。

そして何故かボーカルに抜擢されてしまう。赤パンマニアな皆様にはご存知でありましょうが、当方、相当な音痴であります。コイツは恐らく人を辱めるためだけにバンドに加入させ、恥をかかせてやろうと思っているに違いない。…実際そうでした。死ね!
そんなこんなで新宿にあるライブハウスの舞台に上がらせて頂いたのだけれど、練習はほぼナッシン! 高田馬場のスタジオで2時間くらいワーってやったくらいですね。だからもう、声もろくに出ないわ、極度の緊張で顔が真っ青になるわ、主催の〇〇人はガラも口も悪いわで最悪のデビューとなりました。打ち上げは〇〇人の経営する焼き肉屋だったのだけれど、肉は出してくれず、酒とショボいツマミのみで2000円取られ、挙句の果てに終電逃してみたり。あの時は高田馬場まで歩いて最強攻略編集部で寝たなあ。当時は鍵を預けてもらってたので(編集部を私物化するのはやめましょう)。

メンバーは意外に豪華だったのだ。助っ人だけれど、ドラムは芸能プロダクションの社長だったし、ベースは我修院達也の息子だ。そしてこの2人、名前だけではなくて腕前も確か。めっちゃ上手いのである。ヤリマスナー! 僕なんかがボーカルやっちゃいかんでしょ。まあ、あれですわ。チケット販売要員みたいな感じで、負担を減らす数合わせとしても使われましたなあ。ウチの視聴者層にチケットなんか売れるかっちゅーの! 実際売れなかったのだ。僕は当時、パチンコ番組にちょこちょこ出させて頂いていたのだけれど、まず視聴者層が高めでしたからね。おばちゃんキラーだなあ…とほほ。

曲は、当然何曲か作りました。短くて稚拙なものだけれど、なんとか形にはなったと思います。しかしオカヘンからの注文が「パチンコに絡めて下さい」というもので、僕はかなり葛藤しました。本当はカジヒデキのように、スウェーデンで甘い恋人でカプチーノみたいなのをやりたいのに、彼はハンドルを右に回せとかクソだせえのをやらせようとする…死ね! なんとか作詞作曲したけれど、もう二度とやりたくないのは言うまでもなし。オカヘンには散々引っ掻き回されたなあ。舞台で歌おうとして構えてみても、全く曲を流さず間を外したり、いや~な感じのイジり方してきたり。そういうのが面白いと思ってるの? 安田プロ主催のライブで無理やり飛び入りさせられて恥かいたことは今でも根に持ってるからな。死ね!

まあ色々ありましたけど、今ではいい思い出…なわけねーよ! 死ね! なんつって。

こんな感じで、パンクなんだか〇チガイなんだかわからん曲をやってました。事の始まりはリーダーのオカヘンが「赤パンさん、バンドやりましょう。きっと仕事に繋がるから」の一言。これから業界に入るみなさん! 「仕事に繋がる」というフレーズには絶対騙されないようにしましょう! 基本的に繋がらないから。繋がるならとうに声掛けてきた当人がやってるってばよ。
ちなみにコイツには他の思惑があり、射駒タケシ主催のパチロックフェスに出たかったからとりあえず…みたいな感じだったらしい。その後、彼は残りのメンバーを切ってさっさとパチロックに出演したのだとさ。死ね! 射駒タケシは漫画の方しか好きじゃないからどうでもよろしいが。

そして何故かボーカルに抜擢されてしまう。赤パンマニアな皆様にはご存知でありましょうが、当方、相当な音痴であります。コイツは恐らく人を辱めるためだけにバンドに加入させ、恥をかかせてやろうと思っているに違いない。…実際そうでした。死ね!
そんなこんなで新宿にあるライブハウスの舞台に上がらせて頂いたのだけれど、練習はほぼナッシン! 高田馬場のスタジオで2時間くらいワーってやったくらいですね。だからもう、声もろくに出ないわ、極度の緊張で顔が真っ青になるわ、主催の〇〇人はガラも口も悪いわで最悪のデビューとなりました。打ち上げは〇〇人の経営する焼き肉屋だったのだけれど、肉は出してくれず、酒とショボいツマミのみで2000円取られ、挙句の果てに終電逃してみたり。あの時は高田馬場まで歩いて最強攻略編集部で寝たなあ。当時は鍵を預けてもらってたので(編集部を私物化するのはやめましょう)。

メンバーは意外に豪華だったのだ。助っ人だけれど、ドラムは芸能プロダクションの社長だったし、ベースは我修院達也の息子だ。そしてこの2人、名前だけではなくて腕前も確か。めっちゃ上手いのである。ヤリマスナー! 僕なんかがボーカルやっちゃいかんでしょ。まあ、あれですわ。チケット販売要員みたいな感じで、負担を減らす数合わせとしても使われましたなあ。ウチの視聴者層にチケットなんか売れるかっちゅーの! 実際売れなかったのだ。僕は当時、パチンコ番組にちょこちょこ出させて頂いていたのだけれど、まず視聴者層が高めでしたからね。おばちゃんキラーだなあ…とほほ。

曲は、当然何曲か作りました。短くて稚拙なものだけれど、なんとか形にはなったと思います。しかしオカヘンからの注文が「パチンコに絡めて下さい」というもので、僕はかなり葛藤しました。本当はカジヒデキのように、スウェーデンで甘い恋人でカプチーノみたいなのをやりたいのに、彼はハンドルを右に回せとかクソだせえのをやらせようとする…死ね! なんとか作詞作曲したけれど、もう二度とやりたくないのは言うまでもなし。オカヘンには散々引っ掻き回されたなあ。舞台で歌おうとして構えてみても、全く曲を流さず間を外したり、いや~な感じのイジり方してきたり。そういうのが面白いと思ってるの? 安田プロ主催のライブで無理やり飛び入りさせられて恥かいたことは今でも根に持ってるからな。死ね!

まあ色々ありましたけど、今ではいい思い出…なわけねーよ! 死ね! なんつって。
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