立川駅の思い出
今日は派手に転んで、左手の平の皮がカンナみたいにイッちゃったぜ! 全速力で走ってズザーッてコケちゃったんだもの、仕方ないね。そんな37歳。そして母親と妹らにホワイトデーのお菓子を買って帰ったよ。そんな37歳。

立川といえば、僕が18きっぷと14万円を持って上京し、最初に居着いた思い出深いところであります。そこでは当時ネットで知り合ったクラシックの音楽家の部屋に転がり込んでたわけですが、最初に待ち合わせていたのが北口のドン・キーホーテでした。ペンギンが目印であるヤンキーのたまり場ではなく、当時はそんなホールがあったのですよ。ここは入った時点で○ッタ店の臭いがプンプンしていたものですが、その後は予想通り客足が遠のき、スロゲーセンブームに乗っかってゲーセンに改装するもダメっ…! そのまま潰れてしまいましたとさ。
さておき。音楽家であり友人であり、その後パチンコの師匠となるその男が来るまで、僕はちょいと上の画像の機種を打っていたのでした。その時は負けた負けた。だって適当に座っただけだったしねえ。なんでこんなホールで打っちゃったのか、今でも思い出せませんや。
それから立川での生活が始まった。友人が住んでいたアパートは砂川七番にあったのだけど、ここは立川駅からモノレールで数駅。高い建物はなく、のほほんとした田舎の町って雰囲気が凄く好きでした。それでも飲食店にコンビニ、しゲーム屋にゲーセン、もちろんいなげやというスーパーだってあるから生活には困らないという充実っぷり。田舎と都会の良いトコ取りといった地域でしたね。
僕が稼働していたのは、主に立川北口のビックワンというホールで、当時の営業形態は40個交換で、朝イチの並びはユルユルの割にブン回る台がゴロゴロ落ちてたりとなかなかの優良店でした。初代大海は27以上回り、玉増えしまくったり、今じゃ考えられないくらい幸せな環境でパチンコを打ってましたよ。あの頃は1日中回すのも全然苦痛じゃなかったなあ。その後は他の地域からゴロツキが流れてきて、そして経営者が変わり等価交換となり、衰退の一途を辿っていったわけですが。それでも、昔は安田プロや釘王和泉さんが打ってたりしたんだぜ! 僕はそれに全然気付かず打ってたわけですが。気付かんか!? 普通。
あと、ビックワンの前にオゼックってホールがありましたね。あすこは7枚交換のスロ専だったけど、設定は入ってなかったのか客付きが…。僕は、暇な時なぞにレア台であるポリネシアンドリームを打ってました。すっげえチープなCタイプの台だったけど、分かる人、いるかな~? 確かボーナスが50枚くらいしかなくって、7枚交換のホールでは少し連チャンしたくらいでは投資額を取り戻せなかったけど、当時からレア台大好きだった僕の心を掴んで離さなかったのですよ。
そういえばオゼックは少し離れた所にもう1軒あって、僕はそこでパチ勝用の甘デジ実戦データをちょくちょく採ってましたね。転落式確変の、獣王みたいなパチンコとか、チョロQSTとか。33個交換でしたが、そんなに回るホールでもなかったので貯玉カードを利用してなんとか回してました。
北口から砂川七番まで歩いていると、当時はそういったホールがゴロゴロあったんですよ。パチスロ大将っていう小さいホールもありました。どう見てもボッ○って感じで、当然客付きもなく、僕自身も一度か二度くらいしか入ったことはなく、打ったのは初代エヴァを一度だけ。カヲルくんのヅラを被ったゲンドウって演出はどうにかならんかったのかー!? って感じで、初代は色々とツッコミどころのある台でしたよね。しかし高設定だと10枚ベルがガンガン落ちるため、千円で100回回ったりすることもあり、液晶さえ気にしなければかなりの優良台…だったはず。僕はデビルマンにベタ惚れしていたため、実はエヴァシリーズってそんなに打ってませんでしたけどね。
続く。
麻雀大会ではコテンパンにしてやんよについて。
もう終わっちゃいましたが、楽しんで頂けたでしょうか。あたしゃコテンパンにされる前に回線がブチ切れて自爆しちゃったよ! チクショー! 第2回は1桁順位での入賞目指します!
参加したかったですが10時前に帰宅したのでできませんでしたについて。
今度はよろしくお願いします! スタート時間は遅すぎても困ると思いますので、次回も大体20~21時に設定します。
ついにまどマギに着手したようで嬉しいよについて。
ぐはあっ! モードBで死亡おじさんです。お菓子の魔女に惑わされて、せっかく弱チェで300乗せるという奇跡からの大量出玉も台無しとなりやした。もうBは追わんぞ! ちなみにこの前、新居浜行った時もちょっとだまどマギ打っちゃいました。500捨ての台があったので600まで~と追っかけたら目論見通り600ゾーンで当たり、準備中にスイカからマギカラッシュ。そしてプチボ中にまたもやお菓子の魔女が出現するも、今度は天国で…といった流れで800枚流しでした。ワルプルは一度だけ入りましたが2連終了っ…ううう。

立川といえば、僕が18きっぷと14万円を持って上京し、最初に居着いた思い出深いところであります。そこでは当時ネットで知り合ったクラシックの音楽家の部屋に転がり込んでたわけですが、最初に待ち合わせていたのが北口のドン・キーホーテでした。ペンギンが目印であるヤンキーのたまり場ではなく、当時はそんなホールがあったのですよ。ここは入った時点で○ッタ店の臭いがプンプンしていたものですが、その後は予想通り客足が遠のき、スロゲーセンブームに乗っかってゲーセンに改装するもダメっ…! そのまま潰れてしまいましたとさ。
さておき。音楽家であり友人であり、その後パチンコの師匠となるその男が来るまで、僕はちょいと上の画像の機種を打っていたのでした。その時は負けた負けた。だって適当に座っただけだったしねえ。なんでこんなホールで打っちゃったのか、今でも思い出せませんや。
それから立川での生活が始まった。友人が住んでいたアパートは砂川七番にあったのだけど、ここは立川駅からモノレールで数駅。高い建物はなく、のほほんとした田舎の町って雰囲気が凄く好きでした。それでも飲食店にコンビニ、しゲーム屋にゲーセン、もちろんいなげやというスーパーだってあるから生活には困らないという充実っぷり。田舎と都会の良いトコ取りといった地域でしたね。
僕が稼働していたのは、主に立川北口のビックワンというホールで、当時の営業形態は40個交換で、朝イチの並びはユルユルの割にブン回る台がゴロゴロ落ちてたりとなかなかの優良店でした。初代大海は27以上回り、玉増えしまくったり、今じゃ考えられないくらい幸せな環境でパチンコを打ってましたよ。あの頃は1日中回すのも全然苦痛じゃなかったなあ。その後は他の地域からゴロツキが流れてきて、そして経営者が変わり等価交換となり、衰退の一途を辿っていったわけですが。それでも、昔は安田プロや釘王和泉さんが打ってたりしたんだぜ! 僕はそれに全然気付かず打ってたわけですが。気付かんか!? 普通。
あと、ビックワンの前にオゼックってホールがありましたね。あすこは7枚交換のスロ専だったけど、設定は入ってなかったのか客付きが…。僕は、暇な時なぞにレア台であるポリネシアンドリームを打ってました。すっげえチープなCタイプの台だったけど、分かる人、いるかな~? 確かボーナスが50枚くらいしかなくって、7枚交換のホールでは少し連チャンしたくらいでは投資額を取り戻せなかったけど、当時からレア台大好きだった僕の心を掴んで離さなかったのですよ。
そういえばオゼックは少し離れた所にもう1軒あって、僕はそこでパチ勝用の甘デジ実戦データをちょくちょく採ってましたね。転落式確変の、獣王みたいなパチンコとか、チョロQSTとか。33個交換でしたが、そんなに回るホールでもなかったので貯玉カードを利用してなんとか回してました。
北口から砂川七番まで歩いていると、当時はそういったホールがゴロゴロあったんですよ。パチスロ大将っていう小さいホールもありました。どう見てもボッ○って感じで、当然客付きもなく、僕自身も一度か二度くらいしか入ったことはなく、打ったのは初代エヴァを一度だけ。カヲルくんのヅラを被ったゲンドウって演出はどうにかならんかったのかー!? って感じで、初代は色々とツッコミどころのある台でしたよね。しかし高設定だと10枚ベルがガンガン落ちるため、千円で100回回ったりすることもあり、液晶さえ気にしなければかなりの優良台…だったはず。僕はデビルマンにベタ惚れしていたため、実はエヴァシリーズってそんなに打ってませんでしたけどね。
続く。
麻雀大会ではコテンパンにしてやんよについて。
もう終わっちゃいましたが、楽しんで頂けたでしょうか。あたしゃコテンパンにされる前に回線がブチ切れて自爆しちゃったよ! チクショー! 第2回は1桁順位での入賞目指します!
参加したかったですが10時前に帰宅したのでできませんでしたについて。
今度はよろしくお願いします! スタート時間は遅すぎても困ると思いますので、次回も大体20~21時に設定します。
ついにまどマギに着手したようで嬉しいよについて。
ぐはあっ! モードBで死亡おじさんです。お菓子の魔女に惑わされて、せっかく弱チェで300乗せるという奇跡からの大量出玉も台無しとなりやした。もうBは追わんぞ! ちなみにこの前、新居浜行った時もちょっとだまどマギ打っちゃいました。500捨ての台があったので600まで~と追っかけたら目論見通り600ゾーンで当たり、準備中にスイカからマギカラッシュ。そしてプチボ中にまたもやお菓子の魔女が出現するも、今度は天国で…といった流れで800枚流しでした。ワルプルは一度だけ入りましたが2連終了っ…ううう。
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